ブロガーの元祖せりとも(@seri_tomo)です。
去年、2017(平成29)年9月20日に引退を電撃発表した安室ちゃん。
活動は今年の9月16日までで、ファイナルツアーも最後の東京ドーム2DAYSで全て終了しました。
(このファイナルツアーの様子は全5種類のDVD・ブルーレイになりました。全ての種類を見て映像の編集・画質・音質の違いをまとめた記事はこちらです。)
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トップスターの安室ちゃんの人生は、決して順風満帆ではありませんでした。
子供の頃から苦労の連続で、デビューして成功した後もこれ以上の地獄は無いというほどのどん底まで突き落とされ、そこから這い上がってきたのです。
この記事ではその安室奈美恵ちゃんの人生を詳しくたどりながら、色々なことで悩んだり、人生や物事がうまくいってない人や、うつ病の人や僕のような難病患者、そしてパワハラ被害などでもう働けないとなった人たちがどうやってこれから生きていけばいいかを探ります。
こういう人にオススメの記事です☆
- 人気絶頂の安室奈美恵ちゃんがなぜ引退するのかも含めて、安室ちゃんの生い立ち・生き方・人生を詳しく知りたい人
- スターは見た目はもちろん、何もかもが恵まれているのだから我々一般人とは違う世界の人だと思っている人
- 様々な事情を抱えて働くことが出来なくなってしまって、これからどうやって生きていけばいいか分からない人
- 公務員の実際の給料を知りたい人
目次(読みたい所まで飛ばせます)→
安室ちゃんはどうして引退するのか?
それは、昨年の2017(平成29)年11月23日に放送されたNHKの独占インタビュー番組、『告白』を見て分かりました。
安室ちゃんのNHK特番観ました
なるほど、デビューした時から「この仕事は一生するものじゃない」って思ってたし、「引退する時は大きな会場で引退コンサートをやりたい」って思ってて、全てそれらを実現した人なんですね
これは、どんな人でも、人は潜在意識、思ってたとおりになるという事なんですよ— 元祖せりとも@ブログ始めて6日目で1000PV達成☆【せりログ。】 (@seri_tomo) 2017年11月23日
安室ちゃんはこのインタビュー番組で、
- 「一生続けていく仕事じゃないなとデビューした時に思った」
- 「引退する時は、絶対絶対大きな会場で引退コンサートをするんだ(o^^o) という夢を持っていた」
と、答えていました。
これは、本当に僕が常日頃考えていることで真理なのですが、人は、自分自身が思ったとおりにしか行動出来ないようになっている生き物なんです。
そして、その夢も、目標も、自分自身が思ったとおりに実現します。
ナポレオン・ヒル氏の著書で世界中で1億部を突破した超有名な成功哲学の『思考は現実化する』という本があるのですが、この本には、人は自分が思い描いたような人間になるという事の全てがまとめられています。
例えばこれは僕も経験あるんですが、僕の周りの人で、「この仕事は長くは続けられないな…」と普段から思ったり考えたり口に出している人は、本当にそのとおりその仕事をいずれ辞めていきました。
なんでもそうだと思いますが、人は、自分には出来ない・出来そうもないと思ったことはそのとおりになってしまいます。
だってそうですよね、自分自身でそれは出来ない・やれないと思っていたら、やっぱり本当にやらないですし、やってもあきらめてやめてしまいます。
最初から気持ちがそうなのですから。
安室ちゃんの引退の場合は、それがデビューした時から感じていた。という事だったんですね。このNHKの特番を見て、納得しました。
激しい歌にダンスに、そのようなパフォーマンスを40代、50代と、若い時と同じようには続けられない。
若い衣装も着続けるのは限界がある。
きっとそれらをデビューした時から悟っていたんだと僕は思います。
もちろん、歳を重ねて激しいダンスや歌が厳しくなってきたのであれば、ミドルテンポやバラードなどの曲を多くしたり、演出の方法を工夫したりするなどして年齢をカバーする事も十分できますし、そうしている歌手はたくさんいます。
でも、安室ちゃん本人はデビュー当時からそれは望まなかったんだなということがこのNHKのインタビューで伺えます。
つまり、自分の仕事が頂点の状態で引退するという美学だという風にも言えますね^^
ちなみに、この安室ちゃんのように資産を築いて早めに引退することをアーリーリタイア(日本ではセミリタイアと呼ばれがちです)と言うのですが、定年まで勤めるのが当たり前だと思い込んでいた僕が、このようなやり方があるのだと初めて知ったのは、とある本を読んだからでした。
これも超ベストセラーで有名な本です。ロバート・キヨサキ氏の著書でシリーズ累計2800万部突破の『金持ち父さん 貧乏父さん』というのがそれです。
(この本はアムウェイなどのMLMの勧誘によく使われてしまって評判を落としておりますが、本自体の内容は決して悪いものではなく非常に勉強になります。また、僕はアムウェイなどのMLMは行っておりませんのでご安心ください。)
日本では、このような早期リタイアをするという考え方は本当に馴染みが無いですし、実際に実現している人も周りに全くいないですよね。
むしろ、これからは年金ももらえるかどうか分からない、働けども働けども給料が上がらないという今の日本では早期リタイアどころか一生死ぬまで働き続けなくてはいけないという嘆きばかりが聞こえてきます… (T_T)
という風に、芸能人だからとか、資産家とか恵まれている人だけのことだよと感じがちだと思います。
でも、安室ちゃんのことを詳しく調べてみると、決してそんなことはないというのが分かりました。
デビューした時に「一生続けていく仕事じゃないな」と最初から悟っていた安室ちゃん。
では、思考が現実化するのだったら、安室ちゃんは芸能界デビューに対してはどのように考えてそれを実現していたのでしょうか。
安室ちゃんは恵まれていた生い立ちどころか悲惨な家庭環境だった…
安室ちゃん誕生のルーツ
これは安室奈美恵ちゃんの母、平良恵美子さんが書いた本『約束―わが娘・安室奈美恵へ』を読むと非常によく分かるのですが、今はプレミアが付いて凄い値段になってますね… (゚Д゚)
ですので、ぱんだこ(@pandaco33)さんのこちらの記事をご覧ください。
安室ちゃんのおばあちゃんは、結婚したものの子供に恵まれない事を理由に離婚となってしまい、その後、米軍基地で出会った男性との間に産まれた子供が安室奈美恵ちゃんのお母さんである恵美子さんでした。
おばあちゃんは、その男性とは結婚することなく母子家庭で恵美子さんを育てました。
そのため恵美子さんは自分の父親のことを全く知らずに育ち、ハーフだということで周囲からいじめられ苦労したようです…。
恵美子さんがハタチの時に沖縄出身の男性と結婚。3人の子供をもうけ、その末っ子が安室ちゃんでした。
お母さんがハーフなので、そのお母さんから産まれた安室奈美恵ちゃんはクォーターだったんですね。
幼少の頃からの劣悪な家庭環境
その安室ちゃんのお母さんとお父さんですが、これが非常に仲が悪かったために、いつも怒鳴り声や暴力、そして物が飛んできたりという状態で、幼い安室ちゃんは家の部屋の隅で震えていたそうです…。
そして、精神も参ってしまいました…。
安室ちゃんがあれだけのスターにも関わらず、性格が凄く内気で人見知りで引っ込み思案だという理由もこれで分かりました。
安室ちゃんはスターになってからも自分の服を買うことすら遠慮したり、人混みの中に買い物に行くと、人とぶつかるたびに「ごめんなさい」と謝ってばかりで結局何も買わずに帰ってくるほど遠慮がちな人なのです。
幼い頃から家庭環境が悪いと子供は本当にメンタルがやられ、人格形成に大きな負の影響を及ぼします。
この境遇は本当に僕と同じなので、他人事とは思えませんね…。
僕も幼少時からずっと両親の過干渉や暴力が酷かったために、僕は見事なPTSD、メンヘラ、アダルトチルドレンとして歪んで育ってしまい、とてつもない生きづらさを抱えて本当に大変でした。
今も僕は、寝ていても夢の中で暴れたりおかしなこと言う父親が出てきて、それで怒鳴って飛び起きてしまいます。
トラウマが消えないのです。
なので、僕には安室ちゃんの生育環境で出来上がったその性格・メンタリティーというのが凄く良く分かるんです。
そして、僕の両親もそうなのですが、こういう家庭環境の悪さは、経済的な部分にも直結します。
バスに乗れないほど極貧だった安室ちゃんの子供時代
安室ちゃんの両親は、その後、離婚。
母子家庭になった安室ちゃんの家庭は極貧となり、安室ちゃんが見学しに行ってスカウトされて通うことになった沖縄アクターズスクールに行くバスに乗るお金も無いほどでした。
なので、安室ちゃんは徒歩で往復3時間かかる道のりを歩いて通っていたのです。
それから安室ちゃんはアクターズスクールでのレッスンに没頭するあまり、中学校を卒業できなくなるほど欠席したため、教育委員会に母子共々呼び出されてしまいます。
「このままじゃ、卒業できませんよ」そんな厳しい言葉が投げつけられたときです。
奈美恵がはっきりとした声で、こう言いました。
「卒業できなくてもかまいません。中学の卒業証書があっても将来ごはんが食べられるわけではありません。私は歌でお金を稼ぎ、りっぱにやっていきます。そして、お母さんを楽にさせてあげたいんです」
約束―わが娘・安室奈美恵へ 平良恵美子 (著)
母子家庭という極貧状態で、水商売を掛け持ちしながら早朝から深夜まで働いて過労で倒れたりもしながら必死に自分を育ててくれたお母さんを、今度は自分がスターになって楽をさせてあげたいんだという気持ちが本当に強かったのでしょう。
そしてそれは、今の安室奈美恵ちゃんをみなさんもご存知のとおり、実現しました。
やはりここでも、子供の頃からの思考が現実化しているんです。
しかし、なんとも皮肉なことに、安室ちゃんの人生においてこれ以上の地獄は無いであろう最悪の事件が起こってしまいます…。
金銭トラブルで母親が殺害されてしまう
自分が発した言葉どおりにデビューしてトップスターになり、TRFのSAMさんと結婚して子供ももうけ、紅白で産休から復帰し(この時にCAN YOU CELEBRATE? を歌い、瞬間最高視聴率は64.9%を記録!!!)、沖縄アクターズスクールドリームと言ってもいいような、まさに順風満帆そのものといったタイミングでその最悪な事件は起こりました。
安室ちゃんのお母さんの再婚相手の弟に、安室ちゃんのお母さんは殺されてしまったのです…。
犯人である義理の弟もそのすぐあとに自殺してしまったため、動機も分からない状態にはなっています。
ただ、当時報道されていたことを思い出したり、今回あらためてかなりググって調べた結果、二つの動機が浮かび上がりました。
- 犯人である義理の弟には消費者金融に借金があり、安室奈美恵ちゃんの母親にお金を借りようとしたが断られ、それを恨んでいたというもの。
- 犯人である義理の弟が再婚を考えていたが、安室奈美恵ちゃんの母親と再婚相手(犯人の兄)に反対され、義理の弟の相手の女性がそれで身を引いてしまったので恨んでいたというもの。
さらに元々、安室ちゃんの母親&再婚相手と、犯人の仲は悪かったようです。
犯人もその後まもなく自殺してしまってる以上、本当の動機は分かりません。
ただ、車に乗って待ち伏せし、車でひいたぐらいですのでよほどの恨みと計画性があったことは間違いありません…。
そして、もしこれが本当に金銭がらみだとしたら…。
幼少時代から極貧で、過労で倒れるほど必死に働いて育ててくれたお母さんを、自分がスターになることで稼いで楽をさせてあげたいという思いを実現できた安室ちゃん。
子供時代、バスに乗るお金さえ無く、何時間も徒歩でアクターズスクールに通って、中学も卒業せず自分の人生全てをかけて本当に有言実行でスターになった。
当時、中学校でそのまま勉強を頑張ったところで、安室ちゃんの家庭の経済状態では大学に行ける見込みも無かった。
それで偶然出会った芸能への道に没頭し、結果を出して本当にお母さんに楽をさせてあげることが出来た。
それが、自分自身がスターになって稼いだお金を母親に持たせたことによって、そのお金をアテにして逆恨みをした親族が母親を惨殺するなんて…。
安室ちゃんにとって、これを地獄と言わずに何と言いましょう…。
究極の地獄を味わい、どん底を経験した安室ちゃん
そこからの安室ちゃんは、小室哲哉氏のプロデュースから離れることになったり、宇多田ヒカルさんのデビューなどもあって人気が急落。
SAMさんとも離婚し、最愛の子供も最初はSAMさんの手に渡るなど、公私共にどん底に落ちてしまいます。
安室ちゃんの親友にまで、「安室奈美恵は終わった」と言われたそうで…。
当時、もう仕事も、“安室奈美恵でいること”もやめたいと思っていた安室ちゃん。
スターですからマスコミや周囲には言わないだけで、生きていくことも嫌だ、もう死にたいと思ったこともきっとゼロではなかったと思います。
僕もかつて、そうでした…。
僕の両親は、暴力や過干渉が酷かっただけではなく、経済観念すらありませんでした。
両親二人合わせて、住宅ローンや消費者金融のカードのキャッシングを含め1億円近い借金を作っていました…。
僕の父は昔から道楽で、百万円を超えるオーディオビジュアル機器を何度も何度も買い換えるのが主な趣味でした。
他にも様々な高価な物を買い込み、とにかく高級品が大好きでした。
もう生活するお金が無いよという母の訴えにも父は一切耳を貸しません。そのせいで、母は消費者金融のカードでキャッシングをしまくりました…。
母親自体も経済観念が無さすぎます…。
カードで作った借金を、今度は他のカードで作った借金で返済するという自転車操業を母は延々と繰り返していました…。
そして父は、我が家の一戸建て住宅を建てた翌年に、不幸にも上司からのパワハラ被害でうつ病になり仕事を辞めました。
この時の父の退職金はかなりの金額だったのですが、母が作ったカードの借金額が尋常ではなく、その返済で全て無くなってしまいました…。
残ったのはこの先何十年にもわたる多額の住宅ローン…。僕が高校生の時のことでした。
なので僕の高校時代はお小遣いを親からもらわず、全部自分でバイトしてまかなっていました。
その後の父は、まともな仕事が全く無く、薄給の仕事を転々とするばかり…。
仕事内容や人間関係が嫌だからと、勤め始めてから4日で辞めてしまったりなどを延々繰り返しました。
大学への学費は一円も出してもらえないことが分かった僕は、進学をせずに就職し、高卒で国家公務員になりました。
就職した後は、この薄給の給料の大半を家に入れていました。
若手公務員が薄給だというのが皆、知らないんですよね。
僕が昔、国家公務員 事務官だった時の
3年目の夏の給与がこれでした。 pic.twitter.com/OTYVRCPcOu— 元祖せりとも@ブログ始めて6日目で1000PV達成☆【せりログ。】 (@seri_tomo) 2018年1月22日
その頃、母は、父の退職金で一度はチャラになった消費者金融からの借金をまたするようになってしまいました。
新たに母が作った消費者金融のカードの借金は、母は父に隠していたし、父は父で、母の経済観念の無さを知ったためにお金の管理を独立させて母をあざむいていました。
どういうことかと言うと、僕が給料の大半を家に入れていたのは僕が父に直接渡していたのですが、それにも関わらず、父は、僕は働いているのにお金を一切家に入れていないと母に伝えていたのです。
そういう風にしておかないと母がお金をアテにするからと僕も真実を言うことを封じられ、僕は母に誤解され続け、僕の気持ちは踏みにじられました。
しかし、両親がお互いそんな借金まみれで互いに互いをだましている姿は、子である僕は両者を見ているので全て分かっています。
これを暴かず、これ以上対処しないわけにはいかないと、僕は糾弾し、両親の前で全てを暴きました。
全ての真実の発覚後も、父はそれを受け入れずに、もう他人事というような状態でした。
むしろ、子供が何をしゃしゃり出てきて、やめろ!と怒鳴る始末でした。
そして、父も母も、父は母が悪いと言い、母は父のせいだと言い、ただただ互いに互いが悪いとなすりつけ合うだけ…。
ずっと実家で生活していた僕は、実家の経済状態は自分の生計でもあると考え、責任を互いになすりつけるだけで何もしない両親に代わって、両親の借金を僕が全て整理し始め、それからは家計の管理も全て僕が行いました。
母が作った消費者金融キャッシングの借金は、利子を払うぐらいならまとまったお金を作って元本を一括で払いきった方が良いと考え、自分が作った借金でもないのに僕は親戚の家に出向いて頭を下げ、お金を借りました。
専門のファイナンシャルプランナーの人に何度も相談したり、親のカードを全て僕が解約したり、その後、行政書士のところに行って、過払い金の返還請求も行いました。
まだ、今のように過払い金返還請求のテレビCMが一切やっていない、そのような方法があることが一般的に世間に認知すらされていない時代のことです。
そして、僕の給料も、ボーナスも、家計のために家に繰り入れました。
そんな状態でしたから、僕自身の人生も、幸せも、恋愛も、結婚も、将来も、全てをあきらめました。
僕は、あまりのつらさと状況の酷さに、ストレスでじんましんが全身に吹き出し、鬱でろれつが回らなくなってしまいました。
そうやって苦労して苦労して何百万円も僕がお金を工面しても、それでもまだ全部、両親に浪費され続けます…。
僕が数百万お金を作ってきても、父親の趣味のオーディオ(超高級スピーカーなど)や、デザイン優先でただの飾りにしかならない高級な家具・調度品など一品で数十万円とか百万円弱するものを、有無を言わせずポンポン買ってしまう。
母親も、お金はあればあるだけすぐに使ってしまう。領収書もレシートもない、使途不明金だらけ。
僕がどんなにやめてくれと、どれだけ子供に迷惑かけるつもりなんだ、もう死にたいと訴えても、全く理解もされず、聞く耳も持ってくれませんでした。
父も母も、当然ですが成人です。物を買う、契約するのに誰の許可もいらない。
子供の僕がどれほど止めようと、どんな高い物でも店で一人で好き勝手に買えてしまいます。
もう、地獄でしかありませんでした。
あまりの地獄に精神が崩壊した僕は、友人には悪かったですが、友人に愚痴や嘆きを聞いてもらうこともかなりありました。
しかし、友人も若く、僕の状況を全く正しく受け止めきれません。
安室ちゃんの人気が急落した時、安室ちゃんの親友までもが「もう安室の時代は終わった」などと本人に言ったように、
僕にも、
「そんな家の酷い状況を口に出して他人に言うのはおかしい」
「ブログに書くのはおかしい」
(昔、mixiが流行っていた頃、これらの事をmixiに書いた時に言われた)
「なんでも親が親がって、自分はどうなんだ」
「仕方無いだろ」
「お金無いならお前も使うな」
「もう家を出ればいいだろ」
などと延々と言われ続ける状態でした…。
こんなことになってしまってうまくいかないのは友人付き合いだけではありません。せっかく綺麗で素敵な女性と出会っても、僕の精神は完全に崩壊しているような状態です。
公務員という、他の人からは必ずうらやましがられる安定職に就いていた僕ですが、実際は上記の給与明細のとおりで物凄い薄給ですし、僕の両親がこんな状態ですから、僕にはお金どころか、自分の未来も将来もありません。
だから、相手の女性が見た目も中身も素敵な人であればあるほど、僕は自分のことの全てを引け目に感じ、相手に悪いと感じて交際にも発展出来ませんでした。
全てのチャンスをフイにしました。
安室ちゃんはスターになって自分で稼いだお金を母親に持たせ、母親に楽をさせるという事を実現したために、その大金を持った母親に逆恨みをした義理の親族に殺されるというこれ以上無い地獄を見ました。
僕はそれとはパターンが違いますが、僕が助けた両親本人に延々と裏切られ続け、僕を理解・受け止めきれない友人ともうまくいかなくなり、恋愛・結婚・将来という僕自身の幸せも人生も全てあきらめ、絶望を感じ、気が付くと外に出る時は7階建て以上の建物を探すようになっていました。
「あれは… 6階建てだからダメだな…」
「らせん階段で外から屋上に上がれる作りかな…」
そうです。7階以上の高さからなら確実だから、です。
でもその時、僕の妹の顔が頭に浮かびました。
確かに僕は、これで死ねば楽になれる。
でも、この酷い実家には、僕以外に、罪の無い僕の妹二人がいる。
そして、同じく罪の無い祖母もいる。
特に妹二人はこれからの長い人生をずっと、兄が自分たちを置いて自ら他界したことを一生引きずって生きていかなくてはいけなくなる。
それがどんなに苦しく、つらいことか…。
結局、僕が今やろうとしていることは、罪の無い妹を一生苦しませてしまうことになる。
そう思って、僕は死ぬのをやめました。
それは、安室ちゃんも同じだったのです。
絶望の淵から這い上がれたのは、自分の糧があったからだった
安室ちゃんがここまで具体的に死にたかったかどうかは分かりませんよ。
ただ、絶望と地獄を感じていたことだけは絶対に間違いありません。
母親の事件だけではなく、人気も低迷・離婚・親友にまで心ない言葉をかけられるなど、本当にどん底でした。
その、一度はもう“安室奈美恵をやめたい”とまで思っていた安室ちゃんがなぜふたたび頑張れたかというと、それは最愛の息子がいたからです。
僕が妹のことを考えて自殺をやめたように、安室ちゃんにも最愛の息子がいるという糧がありました。
その子供のために頑張ろう、そして今がどん底ならば、これ以上悪くなることはもう無いと思って安室ちゃんは這い上がりました。
地獄から這い上がった先に待っていたのは、自分が好きなことを徹底的に楽しむこと
そして、どん底であろうとも、安室ちゃんが子供の頃から没頭していた歌やダンスというパフォーマンスへの情熱は、完全には消えていませんでした。
小室哲哉氏のプロデュースを離れ、人気もかなり落ちてしまい、これからどのような路線で行こうかしばらく試行錯誤して苦しんでいた安室ちゃん。
でも、"SUITE CHIC"(スイート・シーク)という自分の名前を付けないプロジェクトに参加して歌うことで、安室ちゃんは最も大事なことを思い出します。
まだまだ終われないし、今はとにかく必死な顔して、もがけばいいじゃんって思って・・・
それからSWEET CHICでアルバム作りはじめたりとか
そういうことをして、“楽しむ”ってことを忘れてたんだなって
とにかく“楽しみつくす”ことをやってみようかなって思っていたので
“安室奈美恵”を一回置いたSWEET CHICの活動は
ものすごい“楽しくて”、すごい達成感があったんですね
その時に、え? なんでこれを忘れてたんだろう・・・って
あまりにも、
こうしなきゃいけない
ああしなきゃいけない
こうじゃなきゃいけない
って考えすぎてしまって、とにかく、“楽しむ”ってことをだんだん忘れていった時だったので
「自分が好きなことは好きだ」って胸張って楽しまないと、そりゃいいものは作れないなって・・・
安室奈美恵に戻った時に、とにかく今の自分を“楽しんで”、いいと思うことを胸張って堂々とやればいいってなった時に
いろんな迷いとか、いろんなプレッシャーとか、全部消えていった
NHKドキュメンタリー - 安室奈美恵「告白」
このSWEET CHICの活動がターニングポイントになり、そこからは安室ちゃんの路線も確立されていきました。
それからはテレビ出演やライブでのMCすら、「何か面白いことをしたり言わなくちゃいけないと思うと苦しくなる…」ということでやらなくなり、媚を売らず徹底して歌とパフォーマンスで魅せるアーティストとして特化するようになります。
その徹底した姿勢と純粋なアーティストパフォーマーとして特化した活動に人気も再燃。コンサートチケットは常にソールドアウトでプラチナ化に。
そして、引退を考えていた安室ちゃんは、5年ごとに自動契約で縛られる所属事務所を「これでは奴隷契約だ」と独立し、デビューした最初の頃から思い描いていたように大きなコンサート会場(5大ドームツアー)にて引退を迎えることを “自分自身で” 実現しました。
こうして安室ちゃんの人生を全てたどっていくと、いかに安室ちゃんが子供の頃から芸能界を引退するまで全て一貫して有言実行で、自分の思考が現実化しているということが分かっていただけたと思います。
どうか、あなたも生き抜いて
とはいえ、人生は自分の意思や行動ではコントロール出来ないことも多いです。
安室ちゃんにとっては母親の事件がそれでした。僕にとっては両親がそれです。
どちらも、いくら自分が頑張ってもコントロールすることは不可能でした。
むしろ、本当に皮肉ですが、それほどまでに自分が頑張ることで招いた悲劇とも言えます…。
これが安室ちゃんにとっても、僕にとっても、どれほどの地獄だったか…。
もう死んでしまおうとしたその時、僕は妹の顔が浮かんで生き延びました。
安室ちゃんは、最愛の息子のために生きようとしました。
今、様々な困難を抱えてとてつもなくつらい状態の人もたくさんいると思います。
死んだ方がマシだ。そういう状態の人も、たくさんいることと思います。
でも、どうか一旦落ち着いて周りを見て、自分にとってのかけがえのない糧となるものを見いだして、生きていってもらいたいと強く思います。
そういう人は、どうか自分自身のことだけを考えてください。
徹底的に、自分自身の幸せだけを考えてほしいのです。
そして、生きていくことすらつらいという人は、どうか、自分の好きなことだけを徹底してやり続けて生きていってほしいんです。
自分の好きなことをとことん追求して生きていこう
僕の両親は年老いて変わりました。
正直、母親はあまり変わっていませんが、父親はとても良く変わってくれて、今は昔のような酷いことは一切ありません。
家の事にも物凄く協力的に変わってくれました。
ただ、経済面だけは、父親が建てた住宅のローンが当初の計画どおり支払えないため、最大限に支払年数を延長したために今も凄まじい残債がこの先も長年残っており、ローンを組んだ時代が悪かったために今では考えられない高金利で利子ばかり払い続けている状態で、毎月の支払額が凄い金額です。それが今も家計を圧迫し続けています。
こうして我が家は僕が老人になるまで終わらない問題があり、僕の下の妹はこの実家に住むことを拒絶し、事実上縁を切ったような状態で独りで出て行ってしまいました。
そんな、まだまだ問題が山積みな状態で、今度は僕が原因不明で不治の病の難病になってしまい、働けなくなってしまいました。
難病になった時は、なぜこんなにも僕にばかり試練が続くのだろうか。なぜこんなにも不幸が続くのか。一体どこまで地獄が続くのだろうかと、不条理な世の中を恨み、憎みました。
でも、僕はあきらめません。
その証拠が、このブログです。
安室ちゃんにも様々な困難が襲い、絶望と地獄に突き落とされた時、もがいてもがいてSWEET CHICというプロジェクトをやった結果、自分の本当の好きなスタイルを楽しんで胸を張って突き進むという最も大切な原点に気が付き、それを実行してふたたび成功しました。
僕も、働けない身体になったという制約を抱えた状態で自分を見つめ直した結果、僕の得意で好きな事である、文章で情報発信していくことを思い至ったのです。
安室ちゃんは、自分が好きなスタイルをとことん突き進んだことで、どん底からの成功を手に入れました。
今は昔と違い、個人が自分の好きな事で生計を立てていくことが可能な時代になっています。
それは、僕が以前書いた記事でも触れています。
↓
うつ病で働けなくなり、自殺を何度も考えた人が自分の好きなことで生活していったエピソード
【拡散希望】
私のやりたい事を、フォロワさん以外の1人でも多くの『生きづらい』と感じている方に知って欲しいなと思い、暫く固定ツイにしますので、拡散協力お願いします。 pic.twitter.com/FoQHOUAxhK— ごちゃまぜCafeメム店主 和泉 (@umenokao_kimini) 2018年4月25日
最近、僕がツイッターでたまたま知りました、ごちゃまぜCafeメム店主の和泉(@umenokao_kimini)さんは、うつ病で休職を繰り返し、会社勤めが出来なくなりました。
やはり自殺も何度も考えたようですが、ある時、お菓子が食べたいと思って自分でクッキーを焼いてみたところ、その時だけうつな気持ちから解放されて無心になれることに気が付きます。
それからは急速にスイーツ作りにハマり、何店もの喫茶店や個人から注文を受けるほどになりました。
カレー作りも好評で、カフェバーなどでカレーイベントを行っていくうちに、周囲から「ぜひ出店してほしい」との要望が高まります。
そして、和泉さんは同じようなうつ病の人、そして僕のようなアダルトチルドレンの人だったり、発達障害、依存症の人のような、通常の社会生活になかなか溶け込めない『マイノリティ』な人たちを将来雇用する法人を作ることを目指してらっしゃる起業家になられています。
このエピソードのように、もし今、立ち行かなくなってる人がいたら、どうか自分が無心になれるほど夢中になれる好きなことに専念してみてほしいんです。
そうすることで、今までは考えられなかった新しい世界が広がる可能性があります。
だからどうか、そうやってあなたも生き抜いてほしい。
どん底だからこそ、地獄だからこそ、働けない制限された状態だからこそ、そこから思いもよらない世界が広がる可能性が、絶対にあなたにもあります。
それを信じて、進んでみてください。
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