ブロガーの元祖せりとも(@seri_tomo)です。
僕のこのブログでは、主にツイッターでの発言や他のホームページの記事を“引用”することを多用しています。
今回は、この件に関して説明していきます。
こういう人にオススメの記事です☆
- ツイッターやインスタグラムをやっているけど、知らない人に勝手に引用や拡散をされるのが嫌だったり、自分の投稿を見られたくない人がいる、という人
- インターネットでも現実社会でも、この世に自分が情報発信するということはどういうことになるのか正しくとらえたい人
- 正しいインターネットリテラシーを学びたい人
目次(読みたい所まで飛ばせます)→
引用の定義とそれを行う理由
一つの言葉に対して意味って複数あるものですが、ここでは(自分の論を説明・証明するために)他の文章や事例を引くこと。ですね。
『引用』でググったら一番上に出てくる説明で、この記事のテーマに最も適していました。
いろんな事実やそれについての自分の考えを書いてる記事、何かの商品や作品などを体験してそれについて感想を書いたり紹介したりする記事を書く際に、これはホントにこういう事実がありましたよ、この僕の説明の根拠はここにありますよ、その商品・作品がこれですよというのを示すために“引用”させていただいてます。
自分の記事に説得力を持たせるためですね^^
例えば、「昔こんな凄い事件がありまして~」って僕がただ書いただけだったら読者さんは、
って思うことだって出来ますよね。
その証拠を示すために、出典を明らかにして記事の説得力・正確性を持たせているというわけです。ソース(情報などの出所・情報源)を出しているというわけですね。
また、こういうブログでしたらその引用元に飛ぶ直接のリンクが張れますので、一発でそこへ行って見ることができるので、読者の利便性につながります。
さらに、引用元にとっては、よそで紹介してもらえた・広めてもらえたという利点があります。
例えば僕が、ほとんど誰にも知られていない凄いマイナーな作品とかアーティストのライブを楽しんで、その経験を記事にしてその公式サイトのリンクを張れば、引用元にとっては、宣伝してもらえた♪ という風にもなりますね^^
今回の記事では、ツイッターを主な主題にして、インターネットやこの世の中で自分が発信するということはどういうことになるのか、その正しいリテラシーを説明します。
引用するのに引用元の許可がいらない理由
まず、引用するのに引用元の方の許可は不要です。
許可を必要とするとしてしまうと、その個人を含め社会全体が停滞してしまう、大変に非合理的なものだからです。
世界一分かりやすく説明しますね。
例えば何かの作品を評論したり、他の誰かのとある発言や意見、出来事に対する自分の考えを書きたい場合ってありますよね?
例えば、今日観た映画の感想を書きたいな~とか。
あの芸能人とか政治家が、こないだこんなこと言ったりやったりしてたけど、それちょっと違うんじゃないかな~と自分の意見や考えを書きたいとか。
そういうこと、ツイッターではみなさん普通に普段やってますよね?
あまり難しく考えないでください。何かに対してそれが好きとか、それは嫌いとか発信するのも全部そうです。
それを書くには、元を明らかにしないといけないわけです、この作品のことなんだよとか、この人のこういう発言がねとか、昨日ニュースになったこの事件のことだよ、とか。
そのために毎回毎回、発信元・作者・本人の許可を取る必要があるとしたらどうなるか…
連絡なんて取れません(笑)
連絡取れない、イコール、許可ももらえません。これでは何も書けなくなってしまいます。
でも、もし連絡取れる場合だとしましょう。
という風に、許可を求めるということは、当然、断られる場合もあるということです。
そうしたら、断られちゃったらもう書けないとなったらどうなりますか?
評論も批判も自分の意見や考えも示せない世の中になってしまいます。
作者、情報発信元にとっては、悪い意見や評論、批判は書かれたくないのは分かります。
誰だってそうですし、僕だってそうです。
しかし、それじゃあ、良い意見や高評価だけなら書いていいよという許可しかもらえない世の中だったとしたら、それは僕が以前書いた記事、
の内容のように、権力や圧力に支配された忖度社会になってしまいます。
これでは健全な世の中ではありませんよね。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ… ポイズン
それを防止するために、引用の許可は不要と定められています。
それと、それぞれにかかる手間のこともぜひ考えてみてください。
引用には許可が必要だという前提でわざと考えてみて、さらに自分が情報発信者だと思ってください。
こんな風に続々とあなたに殺到したらどうします??? 対応しきれません。
そう思ってるとしたら、それは今たまたまそうなだけなんです。
ツイッターでもなんでも、情報を発信し続けたり、活動したり、宣伝を続けていたりしたら、いずれどんな個人・一般人でも、どこかで取り上げられて、スポットを当てられて、ものすごく知れ渡る時がいつかあります。
そうなった時に、毎回毎回、引用の許可が殺到したら…。
対応できません。
それはダメです。
引用には許可が必要という世界だった場合、それはイコール、返事が無いと何も書けない世界ですから、OKにしろダメにしろ毎回必ず回答することが義務として求められることになります。
それは情報発信元だけではなく、引用をする側もそうです。
例えば何かの論文を書く必要があって、過去の多くの書物・実例・事実に基づいて分析する内容を書く時、引用の許可が必要だったらその莫大な手間が必要で、さらに許可ありきということであれば、それは事実上もはや何も出来ない世の中になってしまいます。
これでは互いの個人の負担も凄まじいのはもちろんのこと、社会全体として発展していくことが出来ません。
だから、引用の許可は不要と定められているのです。
ツイッターで発信するということは世界中から見られても良いと同意したことになる
ツイッターにはリツイートですとか、引用リツイートすることが最初から出来るようになっていますよね。
あなたも他の人のツイートを、これ凄く面白いなって思ってリツイートしたことはありますよね。その時に、「リツイートしていいですか?」って許可を求めるリプライとかダイレクトメールを相手に送りました?
してないですよね。引用が不要ということは、それと全く同じことだと思ってください。
リツイートだけでなく、ブログの埋め込みも同様です。
あまり知られていないかもしれませんが、ツイッターには実は最初からツイートをサイトに埋め込める機能が搭載されています。
上記の赤丸部分がそれです。
これは僕が自分のツイートに対して行った例ですが、他の人のどのつぶやきにも可能です(鍵垢のツイートは除く)。
ツイッターが最初からこういう機能を付けているということはどういうことなのでしょうか。
ツイッターの利用規約を見てみましょう。
これは、『ツイッターに投稿した場合は世界中にどのような形で見られることになっても、あなたはそれを認めること』という規約です。
だから、ブログに埋め込む機能も最初から付いているのですね。
なので、ツイッターで情報発信するということは、世界中から見られることに了承する必要があるんですが、それをめちゃんこ具体的に説明しますね。
今、あなたは自分がJK(女子高生)だと思ってください。
元々JKの人はそのままでいいです。アラサーでもおっさんでも自分はJKだと思ってください。俺はJKだ…、俺はJKだ…
JKだったらツイッターよりインスタばっかり使ってるだろっていうツッコミは、
\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ
JKのあなたは、クラスメートとか仲の良いグループだけでフォローし合ってると考えてください。
毎日、今日の出来事をつぶやいたり自撮りを載せます。大体全部自撮りはSNOWで加工してます。
ここで問題なのは、SNOWで加工し過ぎていて実物より可愛く撮れすぎていること、ではなくて、投稿しているJKのあなたはフォローし合ってる人だけに見てもらってるという意識があることです。
鍵垢なら別ですよ。でも、鍵垢じゃなければ、ツイッターで投稿するということはノートに物を書いて自分の写真も貼り付けて、それをその辺の道ばたに広げて置きっぱなしにしてるのと同じなんです。
通行人には見られ放題、読まれ放題。持って行かれたりもするかもしれませんし、コピーだってされちゃいます。
ネットで情報発信する、ツイッターに投稿する、ってのはそういうことなんです。
発信する、ツイートするという時点で、そういうことに同意しますよ、ということなんです。
いつも仲の良いクラスの友達グループだけでフォローし合ってやり取りしてたら、その仲間だけに見せるために投稿したつもりになってしまうかもしれません。
でもそれは世界中に拡散される場合も当然あるし、ネットで発信するということはそういうことだし、それに最初から同意した上で行わなければいけないということです。
と思いがちかもしれませんが、それも間違ってます。
先ほども書いたようにある日突然、めっちゃフォロワー多いインフルエンサーの目に留まってリツイートされて超絶拡散されるかもしれませんし、多くの人がツボになる超面白いツイートしたら凄い拡散されるかもしれません。
そして、ここでわざと超絶キモい例え話しますね。
ネット上に投稿されている画像は私的に保存するのも問題ないので、JKのあなたの自撮りをネットに載せて、それを見つけたおっさんが、
って100万回保存されても文句は言えないよってことです。
(今夜は何が決まりなのかはご想像にお任せします)
強く印象に残るようにわざとキモい例え話にしたんですけど、ネットにモノを投稿するってことは、全部そういうことにも納得・了承する覚悟が必要です。
インターネットを含めたあらゆる情報発信には本気の覚悟が必要
気持ちは分かります。
いくら利用規約でそうなってるからって、そんなつもりで載せたわけじゃない、自分が想定してない人に拡散されたくない。知らない人に見られて変な風に思われたくもないし、引用されて好き勝手書かれたくもない。
そうでしょう。でも、それは申し訳ないのですが、あなたの勝手な気持ちなんです。
ネットに情報発信をしているにも関わらず、自分の思いもよらないようにはしないでほしい、自分の思ってるとおりに配慮してほしいというおごりがあるのです。
冒頭から何度も繰り返していますが、無名の一般人のあなたも、自分が発信している以上はいつか突然知らない誰かに引用されたり、拡散されたり、思ってもいないことを言われます。
それに傷付いたり、嫌な気持ちを感じたり、フォロワー数の多い有名人やインフルエンサーに引用リツイートされたら「晒された…」と思ったりするのは、ネットに情報発信をしているにも関わらず、自分は一般人なんだから自分の思ってもいない範囲で自分を取り扱わないでほしいというおごりがあるんです。
でももしこれが一般人じゃなくて超有名人だったらどうでしょうか。
タレントでもいいですし政治家でもいいです。
人気も知名度もあるから、一つツイートしただけで凄まじい数のリプライとリツイートがされますよね。
でもそれはファンからの好意的なリプライだけじゃありません。反対意見とかいろんな声も届きますし、拡散もどんどんされていって、どんどんどんどんいつの間にか情報が一人歩きもしていきます。でも、そういうものなのです。
だからどうか、せっかくこの記事を読んでくださっていてツイッターなどのSNSで情報発信しているあなたは、今日から自分は超人気タレントだ、自分はアメリカの大統領だと思っていただけないでしょうか。
さっきはJKだ、今度はタレントだ大統領だと忙しいですが、とにかく、インターネットで発信するということ(ツイッターに限らずインスタグラムもフェイスブックも全部そうです)というのは、常に世界中から注目され、そして自分に断りもなく拡散され、しかも思い思いにあれこれとみんなから勝手な意見を言われるというのが最初から前提なんです。
インターネットでオープンに発信しているにも関わらず、あの人には見られたくない、同じ会社の人には見られたくない、学校の先生には見られたくない、家族や親戚には見られたくない、あーだこーだ好きに感想や意見を言われたくない、引用や拡散が許可不要だからといって勝手にそれをやるのはモラルとしてどうなんだ、不快だ、気持ちが悪いという風に思うのであれば、それはあなたの勝手な慢心です。
ネットで発信するということは、それら全てを受け入れる必要があるんです。それぐらいの覚悟がいるということです。
でもこれに関しては、本当に普通の一般人だけではなくて、既にこの世に本を何冊か出してらっしゃるような方でも自分のツイートをブログに勝手に埋め込み引用されるのが嫌だという風に発言しているのを聞いたことがあるので、本当に、人の気持ちというのはそういう風になりやすいものなのだなというのは思いましたね。
ですから、本当に無名で世に顔も名前も出してない人であれば、なおさらそう思ってしまうでしょうし、思いもよらない事が起こった場合は驚くし傷付くし悲しむし不快だし気持ち悪いという風になるのは十分に分かるんです。
しかし、それを全て受け入れて納得できる心がないと、ネットの発信はしてはダメですね。
ネットに限りませんよ。例えば現実社会でも、もし自分が本を出したり、レストランを開いたりしたら、その自分の本の内容や店の料理の味がネットのレビューで酷評されることだってあるし、断りなく引用されることも当然あります。
自分がもしテレビや新聞に取材されて紹介されたとしたら、「今テレビに出た子、あーだな、こーだな」と、リアルタイムでSNSでガンガン感想を拡散されますし、次の日学校や会社で話題にも出されます。
世に出る、表に出るということは、そういうことも全て受け入れる必要があるのです。
だから、ネットに情報を公開する、SNSで発信するということは、これら全てを受け入れる必要があるし、大げさに聞こえるかもしれませんが、世界を相手に本気で覚悟して取り組む必要があります。
でも、全然大げさじゃないんです。
その覚悟が無いのであれば、SNSなんてやらない方がいいです。
やるとしたら鍵垢にするか、ROM専(リード・オンリー・メンバー専門)として一つもツイートはせず、閲覧オンリーにするしかないです。
わたしは芸能人とかじゃない普通の一般人なんだから、自分が思うように尊重して取り扱ってほしいという個人の勝手な思いは通じないのが前提です。
この記事で全て説明したように、引用に許可が要らないというのはこの社会を発展させるために先人達によって編み出された非の打ち所がない仕組みなんです。
それでも自分の思ったとおりにしたいから自分には断りをいれなさい、モラルだマナーだと自分ルールを設けるのであれば、それはせっかくの社会発展に寄与する合理的な仕組みを全て無にしてしまうことになります。
自分の思うようにならないことが気になって不快になるのであれば、ネットの情報発信なんて最初から一切やらない方がいい。
Twitterでコレ大事 pic.twitter.com/bChjVFOqOM
— すず (@suzu_tta) 2014年1月12日
これが、ネットリテラシーの正しいとらえ方です。
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さて、次は何を書こうかしらね…。ネットは広大だわ。